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2006年07月26日

祇園祭2006 花傘巡行 7月24日

●祇園祭・花傘巡行(はながさじゅんこう)    地図はこちら

24日の午前中、八坂石段下を朝10時出発で花傘巡行が行われました。

元々、17日に前祭(さきまつり) 24日に後祭(あとまつり)として、
山鉾が巡行されていたのですが、
大規模な交通規制の必要がある山鉾巡行を一本化しようということになり、
昭和41年の巡行から17日に山鉾巡行が統合されてしまいました。

その後、24日に巡行が無いのでは、
本来の山鉾巡行の役目(神幸祭・還幸祭の御神輿渡御の道中を清める)を成すものが、
24日は無くなってしまうことになるので、
何か行事を行おうということから、始められました。


花傘巡行の金獅子です。
カメラを構えていたら、このスタイルでじっと動かずに待っていてくれました。
ありがとうございます、金獅子さん。


































子供や女子の頭を、はむはむして回っている銀獅子くんです。
噛んでもらうと、毎日が健やかに送れるようになりますよ。


































最先頭は、開智子供みこし会から、開智童心太鼓と子供みこしの御奉仕です。



























































宮本組が先導をして、行列を先行して道中を整えて進んでゆきます。


































狭い寺町京極を巡行してゆきます。
巡行順路は、
東大路通四条上ル(祇園石段下の北の円山公園口)-四条通を西へ
-河原町通を北へ-御池通を西へ-寺町通を南へ-四条通を東へ
-祇園石段下から南へ-神幸道から南楼門をくぐって本社へ。



























・神饌行列です。



























・祇園太鼓の演奏をしながらの巡行です。



























・母衣武者(ほろむしゃ)
 洛中洛外図屏風などに描かれている、昔の祇園祭には多く母衣武者が見られます。
 この母衣は、戦場では背面からの流れ矢を防ぐ役目をした防具の一種でしたが、
 時代が下って室町期頃から、装飾具に変化して指物(さしもの)の一種となったようです。







































































































・京都織物卸商業組合 花笠娘の一団です。



























・宮川町お茶屋組合から、コンチキ踊の御奉仕です。



























後から団扇で扇いでもらって、山車を引っ張るお兄ちゃんも、若干ニヤケ気味です。



























・祇園甲部お茶屋組合からは、雀踊の御奉仕です。
 踊りの装束とはいえ、笠をかぶっているので、折角の綺麗な表情が見えなくて残念でした。



























・祇園祭山鉾連合会からは、月鉾町の囃方さんたちが祇園囃子の御奉仕です。

























行列は八坂神社に到着した後、舞殿にてそれぞれの各種芸能を奉納されました。
いよいよ、今晩(24日)は還幸祭です。  


Posted by ずんずん at 22:37Comments(0)花傘巡行

2006年07月25日

祇園祭2006 三条御供社・修祓い 7月23日

八坂御供社(三条御供社or又旅社)の鳥居の額。  地図はこちら



















22日に建てられた斎竹に、オハケ(御幣)が三本建てられました。
路面のアスファルト舗装にも、このオハケを挿す穴が開いています。
(24日の撤去後の様子を参照して下さい)



























































真中のオハケ…中御座(素盞鳴尊)、右側…東御座(櫛稲田姫命)、左側…西御座(八柱御子神)
が、それぞれ依り代とされます。



























きれいな芝生が、枯れずに青々としています。
昨日(22日)の大工方さんのご苦労が実っています。



















午後2時からの修祓いとご講話に、人が集まり始めました。



























まず、お祓いから玉串奉奠が行われました。



























その後、八坂神社 宮司より「御供社とオハケ」の由来についてのご講話がありました。




































この三条御供社の由来など、たいへん興味深いお話を聞くことができました。

さあ、明日の還幸祭を待つばかりです。  


Posted by ずんずん at 21:09Comments(0)三条御供社

2006年07月24日

祇園祭2006 四条御旅所・鉾町お囃子 7月21日

























17日夜の神幸祭で御神輿3基が八坂神社から渡御し、
24日迄の一週間をご神霊はこの四条御旅所にお留まりになります。  地図はこちら 
この間、18?23日の6日間の夜7時から、
籤で決まった6町がお囃子の演奏をしはります。
21日は、岩戸山さんとこでした。

因みに、18日からの順番は、
四条傘-月-船-岩戸-綾傘-北観音の通りです。


7時前近くになると、岩戸山の囃方のメンバーが集まり始めはりました。



























残りのメンバーが着替えを済ませて来はるのを、待ってはります。



























いよいよ演奏が始まりました。
総勢で15名ほどで、鉦方さん7名、笛方さん6名、太鼓方さん2名です。
あと、岩戸山町の理事長さんをはじめ、他数名の方々が付き添ってはりました。




















































17日夜の神幸祭の後、四条御旅所もきれいに祭壇が出来あがりました。

















































四条御旅所の祭壇をはさんで両側に、西殿と東殿があります。
こちらは、西殿。
この前でお囃子が奉納されました。

  


Posted by ずんずん at 04:03Comments(0)四条御旅所

2006年07月22日

祇園祭2006 三条御供社・斎竹建て 7月22日


24日の還幸祭で、この三条御供社に三基の神輿が立ち寄ります。     地図はこちら
そこで行われる御供社奉饌祭(ごくうしゃほうせんさい)に向けて、
22日朝10時から斎竹建てが行われました。


普段の三条御供社です。商店街の中のお宮さんです。


























鳥居の額には、八坂御供社の文字が見えます。



















































































この三条御供社は、又旅社(又旅御供社)とも呼ばれています。


































オハケ(御幣)の写真が載った由緒書。

































お話をお聞きしたら、この御奉仕をはじめて20年になるとのことでした。
この注連縄は、北東の竹から時計回りに張っていくと、言っておられました。


























































芝が枯れないように、水を充分に与えてやります。
この芝も、このサイズに合うように、
また水持ちがいい様に土の厚みが10cm弱になるように、
専用のパレットで栽培してこの日に備えておられるとのことでした。

































神霊の依り代としてのオハケ(御幣)三本は、
明日23日の朝に、この芝にの上に建てられます。






























この三条通は、むかし神泉苑の南端に辺り、
この芝は、水辺を表していることから、
この場所が、神泉苑の池のほとりでの祭場であることを表現しているようです。




本来は、これで完成。
明日のオハケを建てるのを待つのみですが。。。。

































最近は、心無い方がおられて、犬のオシッコをこの芝にさせたり、
色々と問題が有り、形だけでも黄色ロープを張って保護します。

  


Posted by ずんずん at 14:31Comments(0)三条御供社

2006年07月18日

祇園祭2006 神幸祭・四条御旅所 7月17日

●祇園祭・神幸祭(しんこうさい)  

 7月17日夕刻、三基の神輿が、八坂神社から四条御旅所へ渡御をします。 地図はこちら
 「お出で」の日です。
 三基とは、素盞鳴尊(中御座)、櫛稲田姫命(東御座)、八柱御子神(西御座)。
 
 その日の午前中、山鉾町の氏子さんらにより清められた四条御旅所に、
 北は二条通・南は松原通・西は寺町通の地域を三基別々のルートで渡御した後、
 夜9時頃から、順次一時間位ごとに着輿します。

 ”お出で”は、祇園町の中を回るコースなので、
 置き屋の舞妓さん・芸妓さんたちが揃って顔を出し、
 お神輿に拍手を打つ姿が、また祇園祭らしい風情を味わえます。
 これは、置き屋さん毎に固まって見れるので、とても得した気分になれます。
 
 スサノオさんの家族構成は、
 簡単に言うと、お父さん・お母さん・八人の子供達の10人家族。
 父:素盞鳴尊(中御座)、母:櫛稲田姫命(東御座)、子:八柱御子神(西御座)です。
 
































三基の最後で御旅所にやってきたのは、西御座です。
総勢600名:錦神輿会の御奉仕です。
神輿の重さは、2トンあまり。
現在、実際に担がれているものでは、最も重い神輿と言われています。









































































































































































































































































東殿前にて。
一同が静かに神事が進むのを待ちます。
























































































































































































無事に御旅所に神輿が収まりました。
手締めです。















































































































 氏子区域の残り・寺町通から西半分(西は千本通・北は御池通・南は高辻通)は、
 24日の還幸祭(かんこうさい)で渡御して「お還えり」となります。
 
 この時、三基の神輿は別々のルートで渡御をしますが、
 「大政所御旅所旧趾」(烏丸通高辻上ル東側)と「三条御供社(又旅社)」(三条通黒門北西角)
 には、必ず立ち寄ります。
 御供社に立ち寄ったあとからは、三基とも一目散に三条通を東進し、
 寺町通・四条通を経て還幸します。  


Posted by ずんずん at 22:38Comments(0)神幸祭

2006年07月17日

祇園祭2006 長刀鉾・注連縄きり 7月17日

さあ、お稚児さんの一世一代の大舞台です。          地図はこちら
一発勝負の注連縄切り。
見事、切って下さい。






























15日の早朝に建てられた斎竹に、今日の9時過ぎ注連縄が張られました。
長刀鉾が、ゆっくりゆっくりと近づきます。
お囃子も、四条御旅所で八坂神社遥拝を済ませた後の”戻り囃子”と違って、
非常にゆっくりとしたお囃子です。
























































禿の浅見君から受け取った太刀の柄をしっかりと握り、
今まさに、抜き放とうとしています。





























静かに、精神を集中して。





























刀の切っ先を仰ぎ見ました。





























刀を、左右左と3回大きく振ります。




























そして、真っ向から刀を振り下ろします。





























”トンッ”という、甲高い音とともに、見事注連縄切りを成しました。
お見事!周りの観客からは、一斉に拍手と歓声が沸きあがりました。





























刀を元の鞘に戻します。
注連縄切りの間、禿の浅見君が鞘を持っていました。




























きっちりと刀を鞘に収めます。






























両の手で、刀を捧げて拝みます。




























そして、もう一人の禿・増田君に刀を渡します。




























見事大役を果たしました。
今から結界を越えて、四条御旅所・神社遥拝へ向かいます。

  


Posted by ずんずん at 21:30Comments(0)山鉾巡行

2006年07月17日

祇園祭2006 長刀鉾・四条烏丸 7月17日

17日・朝8時50分。四条烏丸の交差点で待機する長刀鉾へ、
強力さんの肩に乗ったお稚児さんが現れました。                 地図はこちら
いよいよ長刀鉾に乗り込みます。
そのまま乗り込まずに、振り返って、この晴れ姿を皆さんにご披露です。
しかし、雨が残念です。

  


Posted by ずんずん at 20:45Comments(2)山鉾巡行

2006年07月17日

祇園祭2006 豊園真榊の宵山飾り 7月16日

●豊園真榊 7月17日夜・神幸祭の中御座(素盞鳴尊)に供奉します。    地図はこちら
 この豊園の真榊は、元々東御座に供奉していましたが、
 他の2箇所の真榊が廃絶してしまい、中御座に供奉するようになりました。
 東・西御座の両神輿には、現在は真榊は供奉していません。































  


Posted by ずんずん at 06:01Comments(0)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

祇園祭2006 新町通の宵山飾り 7月16日

●北観音山(きたかんのんやま)…新町通六角下ル

日和神楽が御旅所から帰ってきました。明日天気になって下さい。


























 
































●放下鉾(ほうかぼこ)…新町通四条上ル



















































●南観音山(みなみかんのんやま)…新町通蛸薬師下ル

お囃子を録音しているマイクが、すぐそばに接近中。

























気になって、お囃子がでけへん!

  


Posted by ずんずん at 05:33Comments(1)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

祇園祭2006 役行者山の宵山飾り 7月16日


●役行者山(えんのぎょうじゃやま)…室町通姉小路下ル    地図はこちら





























































各山鉾には朱印やスタンプが置いてあり、お参りをしたら朱印帳に押して回ります。
32基全て押せたらすごいですね。



















  


Posted by ずんずん at 05:14Comments(0)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

祇園祭2006 黒主山の宵山飾り 7月16日


●黒主山(くろぬしやま)…室町通三条下ル                  地図はこちら

  大伴黒主が桜の花を仰ぎ見ている様を表しています。
  この御神体には、寛政元(1789)年の銘があります。


























































  


Posted by ずんずん at 05:06Comments(0)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

祇園祭2006 浄妙山の宵山飾り 7月16日


●浄妙山(じょうみょうやま)…六角通烏丸西入ル          地図はこちら    


 宇治川の合戦での、先陣争いの一場面を再現した山です。


 一来法師(いちらいほうし)
 ひょうきんで身軽な一来法師ですが、合戦では儚く戦死をしてしまいます。    




















 三井寺の僧兵・筒井浄妙坊(つついじょうみょうぼう)





































































































  


Posted by ずんずん at 04:58Comments(0)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

祇園祭2006 橋弁慶山の宵山飾り 7月16日


●橋弁慶山(はしべんけいやま)…蛸薬師通烏丸西入ル   地図はこちら





































  


Posted by ずんずん at 04:46Comments(0)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

祇園祭2006 休山の宵山飾り 7月16日

休山というのは、大火などの災害により骨組・装飾品などを失い、
巡行に参加できなくなった山鉾のことです。



●鷹山(たかやま)…三条通室町西入ル

元治元年(1864年)の大火でほとんどのものを焼失。
樽負が、粽をむしゃむしゃ食べる姿が滑稽で人気があった曳山でした。



































































































































●布袋山(ほていやま)…蛸薬師通室町西入ル

 天明八年の大火で焼失。それまでは曳山(ひきやま)の形態をとっていた。










































































































































●休山は、この外にも大船鉾(凱旋船鉾)というのが、新町通四条下ルにあり、
 復活へ向けてお囃子の実演など、盛んに活動されています。
 やはり、元治元年の大火で焼失。
 現存の「船鉾」が出陣の姿を表した船であるのに対して、「大船鉾」は凱旋の船を表している。  


Posted by ずんずん at 04:22Comments(0)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

祇園祭2006 宵山・夜店あれこれ 7月16日


トルコのシシカバブ、トルコアイスの強力外資系?屋台。
愛嬌振りまいて、人集めてたです。
なかなか、やるな。商売上手。




























最近、射的ってなくなっていたと思ったら、復活してきた見たいですね。





















なぜか熱くなってしまう。
仕舞いには、オヤジが子供そっちのけで本気モードになってくるのです。





























”当てもん”に必死になった思い出。小遣いは計画的に。。。

  


Posted by ずんずん at 04:07Comments(0)宵山の各町風景・屏風祭

2006年07月17日

2006年07月17日

2006年07月17日

2006年07月15日

祇園祭2006 斎竹(いみたけ)建て 7月15日

この斎竹(いみたけ)は、        地図はこちら 
7月17日、山鉾巡行の先頭をゆく長刀鉾のお稚児さんが切る注連縄が張られる竹のことで、
15日の日の出前、その斎竹建てが高橋町(東洞院通高辻上ル)の方々により行われました。


























時間は、まだ4時15分。すでに薮内竹材店のトラックが停まっていました。
早く着きすぎたので、しばし仮眠を取りながらの待機のようです。




















4時30分になり、鳶の方たちが着かれて、作業が始まりました。
注意マーク(黄黒のまだらシート)を外しています。
























「御斎竹  高橋町」





























「寄贈 昭和五十二年七月吉日  豊園学区高橋町 株式会社谷寛商事」の文字が読めます。


















































高橋町の方々も4時40分に到着。























まず柱の垂直と固定の具合を確かめます。
























榊が運ばれてきました。
鉾の真木に付けられている榊の形と同じです。 



















トラックからいよいよ竹を降ろします。




















人のいない歩道を使って作業が進められます。
そら、早朝じゃないと出来ないですね。


































枝が広がらないように巻きつけられている、縄を解いていきます。
























急激に空が明るくなっていきます。



















長さを測って、榊を付ける位置を決めます。



















しっかりと麻縄で留めます。


























さらに、ずり落ちないように縄を上に引っ張って、そこでもう一度留めます。



















垂を榊に付ける。









































車が増えてこない間に建ててしまわないと。


























全員で力を合わせて建てていきます。























せーのー、で一気に建てます。











































































































まっすぐに立っているかよく確認して。



















まず金具でしっかりと柱に竹を固定します。
以前は、この竹も今よりもっと低かったそうです。
アーケード出来たり、周りの環境で、
高くしないと見栄えが悪くなってきて、徐々に高くなってきたようです。
丈が高くなるということは、竹の場合、竹根元の直径も太くなるわけで、
ここ近年、その太さに金具が間に合わなくなったことがあったそうです。
今年の竹も太めで、ぎりぎりなんとか止まっていました。














































































縄を巻いて締めていきます。
普段は12回、うるう年は13回巻くそうです。








































房を付ける縄を差し込んでいます。

































































巻きすぎていないか数を数えます。





































































































































































房の先端は縒りをほどいてやります。



















鋏で綺麗に切りそろえて、散発してるみたいです。
今の若い子らがしてる髪型みたいやと、高橋町の方どなたかが言ってられました。
なるほど、なるほど、確かに。















































同じ巻き方で、上下2ヵ所。
南側と北側の2本の竹を縄で留めます。


































左右に振れないように、アーケ-ドの上でさらに固定しています。


































榊の角度も、よーく見て微調整。

























今年も無事に斎竹が建ち揃いました。
時間は既に6時半を回っています。約2時間の作業でした。































祇園祭は、色んな行事や作業が、
まったく繋がりが無い組織や集まりで分業され、連綿と続けられてきています。
それが寄り集まって、祇園祭という大きな神事がなされてきているんです。

この斎竹建ても、その例に漏れず、
何も、八坂神社や山鉾連合会と連絡を取りながら、
斎竹建てを進めているわけじゃないんですね。
高橋町・鳶の方・薮内竹材店さんが、毎年の行事としてご奉仕と協力で続けているんです。

もし、高橋町の方々が何かの拍子に「斎竹建て」を継承出来なくなった時、
山鉾巡行の当日になって、長刀鉾が四条麩屋町までやってきて、
初めて注連縄が張られていないことに、全員が気付くんですよ。
「注連縄が張られてへん!どうなってるねん!」
今までは、巡行当日までに誰かが斎竹を建て、注連縄も誰か知らずに張っていた。

それを証明するものに、
新聞社・テレビ・ラジオ・他出版各社が出している祇園祭ガイドの行事日程は間違いだらけ、
誰も正しい姿を知らないんです。
それを八坂神社や山鉾連合会に聞いても、正確に答えられる人は居ないのです。
それを知っているのは、各行事・神事に携わっている一握りの人だけなのです。

今までは、いろんな場所いろんな地域で黙々と引継ぎ継承されてきたことが、
地域力の低下で続けられなくなってきています。

これからの祇園祭は、どうなっていくのでしょうか。
こういうことも考えていかないといけないんでしょうね。  


Posted by ずんずん at 22:24Comments(5)各町の行事・風景

2006年07月15日

祇園祭2006 中之町・神剣長刀の拓本

長刀鉾の鉾の先に付いていた、神剣・長刀の拓本です。
この長刀は、三条小鍛冶宗近作の神宝で秘蔵となっています。
本物は、現在長刀鉾町で大切に保管されていますが、当然見ることは出来ないのです。
中之町の町会所座敷の壁間に、その拓本が額に表装して飾られています。
この長刀の拓本も、昔に数枚取られたそうですが、他のものは全て行方がわからなくなり、
現在この一枚を残すだけの非常に貴重なものです。           地図はこちら





















































天文(1540年前後)の頃、
病気平癒をさせるために近江国へ借り出され、多くの人々を救ったそうですが、
その頃の山門衆と法華宗徒の争いの中で、長刀が奪い去られ、
行方がわからなくなってしまったのです。
その後、祇園社に戻ってくるまでの経緯が記されています。

  


Posted by ずんずん at 15:59Comments(0)長刀鉾町・関連行事

2006年07月15日

祇園祭2006 古式一里塚松飾 7月14日

松原通柳馬場・松原中之町での古くからの行事です。       地図はこちら     

江戸時代、この町の人々が大勢疫病に罹ったとき、
町の南側に頓宮を造って牛頭天王を勧請して祈願したところ、
霊顕あらたかにたちまち病気が平癒したそうです。
これより、その神徳に感謝して山鉾巡行の時に、
町内一統・神酒神饌を供えて嘉儀を述べたのが始まりだそうです。

その後、北側町家に祠(祇園社)が建立され、
祭日には、神前に一里塚を築き、長刀鉾の到着を待って”木の実の菓子”と薄茶を水で点て、
振舞うことことを例として続けられてきました。
昭和30年までは、17日の前祭は松原通を巡行していましたが、
巡行経路が変更になったことで、祭日よりも早い日にお稚児さんが中之町を訪れる形式に変わり、
現在に至っています。












































先ほどまでの、ドシャ降りの雨も止みよかったです。
さすが、今年のお稚児さんは晴れ男です!





















町内の方々が集まり始めました。






















お稚児さん・禿の三人、他役員の方々が車で到着です。


































約30~40分程でしたでしょうか、無事に神事を終えて記念撮影です。
正にこれが、どこかで聞いたのある”長~~い、お付き合い”です。


























一同、再び車へ。
去年、一昨年は、お稚児さんのご実家が近くであったので、歩いて中之町まで来られたそうです。
歩いて来られるのも、風情があって好いですね。









































滞りなく神事を終了して、町内の方々も後片付けしながら一息です。


























これが、町家(祇園床さん)の一番奥にある祇園社の祠です。
両脇の三宝に松が建っています。
これが、一里塚松飾です。
右が雄松、左が雌松。
根元の黒いのは、目籠にアラメを巻き覆ったもので、
既に取り除かれて残念でしたが、車エビがそれぞれのアラメ籠に三匹ずつ着けられるのです。

  


Posted by ずんずん at 15:39Comments(0)長刀鉾町・関連行事

2006年07月13日

祇園祭2006 新町通 曳き初め 7月13日

新町通の山鉾5基が、                         地図はこちら
7月13日の夕方、曳き初めを行いました。









































山鉾が、狭い新町通の道幅いっぱいに、祇園囃子を鳴らしながら、
ゆらりゆらりと揺れながら、進んでいきました。

























引っ張るのは、子供達や女性の方々がほとんどで、まるで運動会の綱引きの様な風景です。
























































ぎりぎりのところを通り過ぎます。
この新町通は狭い上に、
姉小路通や錦小路の交差点が、若干ゆがんだ十字交差点になっており、
ここが、車方の腕の見せ所となっています。













































  


Posted by ずんずん at 22:46Comments(0)曳き初め

2006年07月13日

祇園祭2006 八坂神社 7月12日の宵 

神輿洗いが過ぎて、堤燈に灯が入りだしました。     地図はこちら          


































































































舞殿の上には、
みごとな三基の神輿(中御座、東御座、西御座)が飾られています。
17日夜の神幸祭には、ここ八坂神社から市中を巡行された後、
四条寺町の四条御旅所に入られ、一週間ここに駐輦。
そして、24日夜の還幸祭で、再び八坂神社へお還りになられるのです。

  


Posted by ずんずん at 21:56Comments(0)八坂神社の風景・境内探検

2006年07月13日

祇園祭2006 久世稚児社参 7月13日

京都市南区上久世・綾戸国中神社より、二人のお稚児さんが社参されました。  地図はこちら

手と口を水で清めて、正面より昇殿します。









































久世稚児は、17日の神幸祭と24日還幸祭に供奉するお稚児さんで、
二人のうち、年少者が神幸祭に、年長者が還幸祭に供奉する慣わしです。
元々は、一人のお稚児さんが、17・24日の両日共のご奉仕であったとのことです。

胸に木彫りの駒形(馬の首)をかけて、行列に供奉されるので、
駒形稚児という名で呼ばれます。
駒形は素戔鳴尊の荒御魂を祀る上久世町の綾戸国中神社の神体とされており、
八坂神社の和御魂と、上久世の荒御魂が揃ってはじめて、
神霊の全ての力が揃う形となって、氏子区域をくまなく巡回されるのです。












































































  


Posted by ずんずん at 21:08Comments(0)久世稚児社参

2006年07月13日

祇園祭2006 長刀鉾稚児社参 7月13日

白馬に乗って社参のお稚児さん。                         地図はこちら

今日は、神さんから”杉守と稚児餅”を戴き、神の使いになられます。









































長刀鉾町・町会所から八坂神社まで、四条通を馬に揺られての社参行列です。



















































やっと、祇園石段下までやって来ました。
行列は右に折れて、神幸道から南楼門(正面)へ。




















南楼門の前で行列が止まりました。
ここからは、馬を降りて自分の足で歩いての社参となります。
まだ神さんにお位を貰ってないですからね。




















































































手を水で清めて、本殿の正面から昇殿。
八坂神社の正面は、この稚児社参の時と宵宮祭の御霊遷しの時だけ開かれます。












































無事に社参を終え、神さんの使いになられました。
記念撮影大会の始まり始まり。

































八坂神社撮影部の方の、「もっもう一枚撮ります」という言葉が可笑しかったみたいで、
一同笑みがこぼれました。
出ました、禿の浅見君もにっこりです。




















お稚児さんの装束。蝶とんぼの冠の上に、金の立烏帽子。
淡い緑の狩衣姿です。
































もう、自分の足で地面を歩いてはいけない、というよりも歩かないのです。
強力さんに担がれて、神社を後にします。









































南楼門を出たところで、馬上に。







































2006年 祇園祭 長刀鉾稚児社参 記念撮影です!(カシャッ)
















































馬に乗ったまま、中村楼へ入られます。






































ゆっくり時間をとって、お食事・休憩。それから、着替えて帰えらはります。
その時は、化粧も落として、浴衣姿。
こそっと、普通の子供に返えらはるんです。

  


Posted by ずんずん at 20:01Comments(2)長刀鉾町・関連行事

2006年07月12日

祇園祭2006 長刀鉾 曳き初めのお土産 7月12日

曳き初めのあと、長刀鉾の拝観券が配られました。               地図はこちら          
無料で一回、鉾に乗れるのです。
ちょっと、嬉しいです。


















但し書きによると、忌中の方と女性は乗れないそうです。
あの、猛烈なパワーで牽引していたオバサン軍団はショックでしょう。

  


Posted by ずんずん at 22:27Comments(0)曳き初め

2006年07月12日

祇園祭2006 長刀鉾 曳き初め 7月12日

長刀鉾の曳き初めが、午後3時半はじまりました。                  地図はこちら
浴衣姿の三姉妹?三友達?

この日のために作ってもらって新しい浴衣を着て、嬉しそうな表情でいっぱいです。










































町会所から離れて動きだした長刀鉾。



















お稚児さんも、太平の舞を一生懸命に舞ってはります。
動く鉾の上での舞いは初めてやし、当日の予行練習です。


























前に乗り出すのも、鉾に乗ってはなかなかスリルがあります。
車方(くるまかた)が、鉾の進行方向を修正するたびに、鉾が身をよじるように揺れるので、
見てるほうが、下に落ちはるんとちゃうか、と思もて心配になります。

















折りたたみ式の信号です。
毎年、曳き初めの日と、山鉾巡行の17日は邪魔にならへんように折りたたまれます。
今日の曳き初めは、烏丸通から富小路通までの500mほどの行き来でした。



















表情にも落ち着きが出てきたはるみたいです。
あとは、あしたの「お位貰い」で、神さんのお使いになられたら、
自分の足では、地面を歩かへんようにならはるので、
それからは、強力さんがフル回転やね。



































戻ってきはるときの様子です。
このときは、お稚児さんは稚児舞をしはりませんでした。


























無事に曳き初めを終えて、お稚児さんが帰らはります。

  


Posted by ずんずん at 22:11Comments(0)曳き初め

2006年07月12日

祇園祭2006 長刀鉾 鉾建て 7月12日

7月12日、午前中に車輪の取り付け、懸装品の装備。              
午後3時半からの曳き初めに向けて、急ピッチで作業が進みます。

長刀の鯱の横顔。これは、前の鯱。                       地図はこちら










































これは、後ろ側の鯱。口は閉じているので、前が阿形で、後が吽形なのでしょうか。
















































































  


Posted by ずんずん at 17:14Comments(0)鉾建て

2006年07月11日

祇園祭2006 菊水鉾 鉾建て 7月11日

菊水鉾の鉾頭です。美しい十六菊紋。                     地図はこちら
鉾が建ってしまうと小さな鉾頭ですが、地上で見るとこの菊水鉾で直径50cmくらいもあるんです。




























いよいよ始まります、鉾建てが。
最初、胴組を造っり、テコを利用する二本柱を付けて寝かせる。

 



























寝かせた胴組に、真木を付けて鉾の最上部・鉾頭までを造ってしまう。

































真木部分が出来上がったら、テコの応用でウィンチを使って起こし上げる。




















































































































































さっきまでは目の前にあった鉾頭が、見る見る小さな点になっていきます。























































もう少しで立ち上がります。
ここで難しいのは、このままの調子で引き続けると、
立ち上がる勢いが余って前向きに倒れることがあるのです。

今迄引っ張っていた曳き方は手を休め、鉾が自分で直立しようとするのに任せます。
反対側の綱の伸ばし手側が、勢いが付き過ぎないように、引っ張って制御してやります。





















































見事、鉾建てが成功です。なのに、なぜか白けた雰囲気の写真ですみません。
というのも、本当は観客一同、ドッと歓声と拍手が沸きましたが、自分も拍手していて、
その瞬間を撮影できなかったのです。
残念。。。





























  


Posted by ずんずん at 23:27Comments(0)鉾建て

2006年07月11日

祇園祭2006 鉾建て いよいよ!7月10日

いよいよ各鉾町で鉾建てがいよいよ始まりました。 鉾の辻(四条室町)地図はこちら

今日からは、四条通・室町通の各鉾町、長刀鉾・凾谷鉾・鶏鉾・月鉾が鉾建てをスタート。

菊水鉾は今日からの予定のはずですが、昼過ぎにはまだ動きが見えずです。

新町通の5基のうち、3基(放下鉾・船鉾・岩戸山)は、明日からの山鉾建てです。

残りの2基(北観音山・南観音山)は、7月12日朝6時から予定です。

これは、月鉾の鉾建ての様子です。ちょうど、午後1時頃の進捗状況です。

































●長刀鉾 鉾建て

縄目の、雄蝶・雌蝶はまだまだの様です。じっくり行きましょう。

























外人さんも熱心に説明を聞いたはります。説明する方も結構大変ですよね。
よーく知ってないと、わかりやすく噛み砕いて説明できないですから。

























長刀鉾は、やっぱり人気がありますね。
ギャラリーの数が全然違うもん。


























●凾谷鉾 鉾建て
































アルバムを見ながら、縄目の確認中。
伝統を守り続けるちゅうんは、はたから見てるだけではわからん、しんどさがあんにゃ。

































凾谷鉾の胴組みの横から、向こうに長刀鉾の鉾建てが見える。(四条通を東に臨む)


























●月鉾 鉾建て

去年、骨組・部材の大半を新調したばかりで、真新しい姿の月鉾です。

























縄はまだまだ足らんでーぇ。急げ急げ!
































鉾の材料の中で、一番の大物・石持(いしもち)。































この2本の”石持”は、車軸を支える大切な骨組みですが、
鉾の重量配分は、背高のっぽの頭でっかち。
背が高い上に、人間が高い位置に100人近く乗り込んで倒れずに動くのは、
この重い”石持”が下で重心バランスを取ってくれているがゆえです。
これを、まさに「縁の下の力持ち」というのですね。

























新品、ピカピカの真木。
この真木も縄で巻かれて、綺麗な縄目を見せてくれます。
































明日、これが本当の鉾建てが行われます。
寝かせて造った鉾をテコの応用で、起こしてくるんです。
そのときに使うウィンチです。
鉾建てで、これは一番の見所でしょう。
































●鶏鉾 鉾建て
































この縄目が、綺麗に巻き上がっていくと12~15トンもの重さを支えるだけの、
強靭かつ柔軟なしなりとバネが生まれるのです。

胴組みの側面の縄目・雌蝶(めちょう)が大分出来てきてます。
































こちらは、胴組み正面の雄蝶(おちょう)の縄目の具合です。
巻き上がったときには、雄蝶というだけあって、
側面の雌蝶よりも、大きく縄目もすばらしいです。
































収蔵庫の中には、鉾の材料がいっぱい。

  


Posted by ずんずん at 18:39Comments(1)鉾建て