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Posted by 京つう運営事務局 at

2006年08月22日

祇園祭2006 還幸祭・八坂神社 7月24日

地図はこちら

子供のベストショットは、なかなか撮れそうで撮れないないものです。   
親泣かせの知らん振り。
個人的には、ぎっくり腰が出そうで怖い体勢。

























中御座がようやく祇園石段下にやってきた。
広いはずの交差点も、人並みで埋め尽されてしまいました。
























差し上げもガンガン行ってます。
























境内に入ってからも、勢いを増して拝殿回しが始まりました。
神輿洗いを除けば、これが今年の祇園さんの神輿は担ぎ収めです。
思い残すことなく、念入りにやっときましょ。














































親子三代。
この児が神輿を担ぐ時も、やっぱりこの気合と迫力は祇園祭を支え続けているでしょう。




























東御座も境内へ。
轅の長さが際立ってますね。
























拝殿回しも、勢いをそのままに始まった。














































その後、西御座も無事に着社。舞殿にも綺麗に収まった。

見事三基の神輿が、夕方5時に出発して7時間が経って、再び八坂神社で勢揃いした。
























中・東・西の神輿が、ライトに照らされ、金色に輝いている。

























今から境内の一切の照明が消され、神輿から本殿へ神霊遷しが行われる。

真っ暗な闇の中、本殿奥で古代琴のような音色で琴がボロロンボロロンと爪弾かれる。
前後4名の神職が白い幕を持ち、その幕で囲まれた中に二人の神職が入っている。
その二名の内一人が神輿一基一基それぞれ御神霊を遷し変えたあと、
再び幕に囲まれて本殿に戻るのである。
御神霊を遷している最中なのか、その前後か、
神職の口から「おぉ~」という、唸っている様な低い声が響くのである。

しばらくして、本殿に無事、御神霊がお還りなったと同時に、境内の照明が点灯される。
闇になれた眼が、その明るさに眩しく、
さっきまでの不思議な時間から目覚めるのである。

その間、わずか10分位か、神秘的な空気が境内を蓋うのである。
























無事に還幸祭を終え、静かに佇んでいる中・東・西御座の神輿三基である。
すでに時計は、午前1時前である。
しかし、今年の祇園祭はよく雨が降ったもんです。























あとは、28日の神輿洗で神輿は倉に仕舞われ、
29日の神事済奉告祭・31日の疫神社夏越祭で、今年の祇園祭は全ての行事を終了するのである。

さあ、神輿洗はきっちり晴れてくれよ。  


Posted by ずんずん at 22:31Comments(0)還幸祭

2006年08月22日

祇園祭2006 還幸祭・三条御供社 7月24日

三若の亀田3兄弟登場!って感じです。 地図はこちら
この姿、気合入っとるね。



中御座の到着を、みんな今や遅しと待ち構えています。

沿道、右に見えています「コーヒータイム ケーキとあっくん」さんには、
いろいろと貴重なお話、資料も拝見させていただき、大変お世話になりました。
ありがとうございました。



御供社の境内は、神輿を迎える準備は万全。
いつでも、いらっしゃ~い!









見えてきました、中御座の到着です。
神輿会の旗が勢いよく翻っています。



着輿まもなく、御供社の前で「ほいっと、ほいっと」の掛け声とともに、激しく揺さぶります。
神さんは、激しく揺さぶれば揺さぶるほど、喜ばはるそうです。



そのあと、静かに御供社前に安置され、
境内の中から神職・役員の方々により、神饌がお供えされます。
その間、神事が行われている前を人が横切らないように、
中御座と御供社の間の東西を固めています。



ここは、中御座を担ぐ、三若神輿会の本拠地です。
すぐそばに、三条台若中の会所もあります。
30分ほどの休憩を取って、鋭気を養って出輿の時を待ちます。





カピカ光っている鳴りかん。



ここぞとばかりに、みんなカメラを向けたり、ビデオを撮ったり。



子供は、鳴りかんが、どうしても触ってみたくなるのでしょう。
シャンシャンを威勢のいい音を立てているので、気になるんですよね。



代わり交替で、記念撮影の嵐です。







さあ、出発の時間がやってきました。
「よぉ~さぁの!チャチャチャ。よぉ~さぁの!チャチャチャ。よぉ~さぁの!チャチャチャ。おぉ~!」
手締めで、気合を入れて、よっしゃ!行きまっせ~っ!



いきなり差し上げで、そのまま激しく揺さぶっています。
手拍子に、ホイットホイットの掛け声が入り混じり、
普段は広く感じる三条通も、狭い狭い!





いよいよ、神輿が差し上げから弾き出るように東へ動き出しました。



猛烈な勢いで、しかも左右に蛇行しながら、掛け声と怒号がすごい迫力。









ますます勢いを増し、人の波と神輿が一体になって、上下に揺れながら前進してきます。
一瞬、危険を感じる迫力。









なんとも血が沸く瞬間のあと、静かに怒涛の波と風が通り過ぎていった。



そうこうしている内に、ほとんど入れ替わる形で、東御座が御供社前に着輿。



今年新調の轅が真新しく、威勢のいい差し上げと差し回しで迫力満点です。

この轅、今までのものより4mも長くなり、国内の神輿の轅では最長とのことでした。
長さのあまり細い辻を曲がりきれるかが一抹の不安あり、という情報でしたが、
なんとか大丈夫のようでした。



東御座に続き、西御座もようやく大宮通を南行して、三条通までやってきました。



先行している中御座・東御座に追いつく勢いで進んでいます。







三条御供社も駐輿することなく、そのまま通過。
すごい勢いで二基を追い上げている。

再び三つの神輿が集結するのは、八坂神社の境内。
おそらく深夜12時近くになるでしょう。



神事の終わった斎竹は、もうぐちゃぐちゃ。
このあと、綺麗に片付けられていました。



舗装路面にオハケを立てる穴があるのを発見。
しっかり三つ開いていおります。




  


Posted by ずんずん at 21:40Comments(0)還幸祭

2006年08月18日

祇園祭2006 還幸祭 神泉苑・二条陣屋 7月24日


二条陣屋近くの旧家の軒にかかっていた提灯。          





















































 
二条陣屋の前の様子。           地図はこちら
天幕が張られ、床几に桶が置かれている。

変わっているのは、先に御幣を三本指した、小田原提灯風の高張提灯。
























提灯のすぐ下に、大きな鈴がぶら下がっている。































見て驚いたのは、御幣の中心についていた額。
「感神院」の文字が読み取れます。

感神院というのは、明治維新以前の八坂神社の名称で、
明治元年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)より前は、
「祇園社」や「祇園感神院」と呼ばれていた。
























神泉苑前の様子です。
中御座の到着を、待ち望んでいる感じです。

現在の神泉苑は、東寺真言宗の寺院で本尊は聖観音です。
ですから、待っておられるのも東寺の方々のようです。





















































よかろう太鼓の奉納もされています。

  


Posted by ずんずん at 23:23Comments(0)還幸祭

2006年08月18日

祇園祭2006 還幸祭・中御座渡御 7月24日

神宝捧持列・久世駒形稚児を追いかけるように、           
中御座(素盞嗚尊)が四条寺町・四条御旅所を出発します。
御奉仕は、三若神輿会です。
























三基の神輿が、順次四条御旅所を出発。
北は御池通、西は千本通、南は高辻通の氏子区域を巡行した後、
八坂神社へ還幸します。

途中、大政所御旅所旧址と三条御供社とには、三基の神輿全てが立ち寄ります。
























出発前の風景です。
四条通は人で埋め尽くされています。














































次代の神輿会を背負って立つ、可愛くも勇ましい三若子供連。
























豊園榊の泉正寺町(高辻通堺町)では、神輿を迎える準備が進められています。
町内には八坂神社の祠はないのですが、
祭壇が設けられて、中御座は暫しここで休憩をとります。   地図はこちら



































































































この泉正寺町は、神幸祭には真榊を奉賛しており、
祇園祭には無くてはならない、重要な役を務めて居られます。






















中御座がやってきました。




































































さあ、祭壇の前で一気に差し上げます。

























しばし休憩の後、出発して大政所を目指します。
























先頭の子供連が大政所前に到着です。
すぐ後に、中御座もやってきています。
























中御座も程なく到着です。
























ここでは、静かに安置され担手達は小休止です。













































さあ、再び出発です。
次は、神泉苑を目指して前進です。














































この先は、つづく。  


Posted by ずんずん at 22:39Comments(0)還幸祭

2006年08月18日

祇園祭2006 還幸祭・久世駒形稚児 7月24日

還幸祭の久世駒形稚児を務める、渡邉智彦君。
幼さの残る顔も、しっかりと手綱を握る姿は凛々しくもありますね。


この久世駒形稚児。
南区久世(旧乙訓郡上久世村)の綾戸国中神社から神そのものとして、
馬の形をした木彫りの御神体の「駒形」を胸に付けて馬に乗り、
神輿のひとつの中御座(素盞鳴尊)を先導します。


この綾戸国中神社は、地図はこちら
もともと大綾津日神、大直日神、神直日神を祀る「綾戸神社」と、
素盞嗚尊を祀る「國中神社」が、2つの社殿を並べる形で鎮座していたのですが、
昭和9年の台風により倒壊したため、昭和11年に1つの社殿として再建されたのです。

現在、一社殿の向かって左側の扉に綾戸神社、右側の扉に國中神社がお祀りされています。

この祇園祭の神幸祭・還幸祭で重要な役を担うのが、
もちろん素盞嗚尊を祀る「國中神社」です。

八坂神社(素盞嗚尊)の和御魂(にぎみたま・穏やかで優しい面)と、
國中神社(素盞嗚尊)の荒御魂(あらみたま・荒々しい面)とが、
一体になって一つの神になると古文書には記されています。

まさに、駒形稚児は中御座と同格なんですよね。

それを裏付けるものに、
五位の位階が与えられる長刀鉾稚児は言うに及ばず、
皇族でさえも下馬が必要とされる八坂神社の境内を、
下馬せずに参内できるということからも、
駒形稚児は、"位"云々で語れるものではないことがわかります。



胸には、御神体の馬の頭(駒形)を戴いています。
ガイド本の中には、御神体を模した駒形と書かれたものもありますが、
この駒形は御神体そのものです。

神代の頃、午頭天皇=素戔鳴尊が山城の地、西の岡訓世の郷がまだ一面の湖水であった頃、
天から降り給い、水を切り流して國となし、その中心とおぼしき所に符を遣わし給うたのです。

その符というのが、素戔鳴尊の愛馬「天幸駒」の頭を自ら彫って、
新羅に渡海の前に尊の形見として遣わし給うたものでした。

この形見=馬の頭が國中宮の御神体として、現在も祀られているというものです。

普通、様々な神社の御神体を目の当たりにすることは無いと思うのですが、
これは、白日の下にさらされているんですから、
すごいことです。

普段は、おやしろの中の扉の内、御簾・幕の奥の唐櫃の中に納められているのです。

こんな風に写真撮って、バチ当たらへんやろか。


出発前の控え地・京都大神宮(寺町四条下ル)で、
役員の方々の記念撮影。


控え室で静かに出発を待つ駒形稚児の渡邉智彦君。



四条寺町から南行、高辻通を西に向かう駒形稚児神宝捧持列。





烏丸通高辻上ル東側の「大政所御旅所旧址」。
まもなく、駒形稚児が到着します。



八坂雅楽隊の方々による、演奏始まりました。



大政所の前で、一礼をして通っていきます。





駒形稚児は、馬上のままです。



さあ、ここから北西へ。
神泉苑を経て三条御供社、そこから三条を東行、
三条寺町を南に、四条寺町から東に向かって還幸となります。





  


Posted by ずんずん at 20:53Comments(2)還幸祭