祇園祭2006・京都ずんずん観て歩き。
https://zunzun2.kyo2.jp
祇園祭のいろんなところを、ずんずん魂で観て歩きます。
ja
ずんずん
2007-07-11T22:00:00+09:00
-
祇園祭2006 神輿洗 神用水清祓
https://zunzun2.kyo2.jp/e448475.html
昨日の7月10日は、
時には土砂降り、時には小雨、とっても梅雨々々したお天気の中、
「神用水清祓」・「お迎え提灯」・「神輿洗」が行われました。
昨年に記事UP出来なかった画像等をUPさせた頂きます。
「神輿洗式」は、7月10日と28日の夜に二回行われる神輿を清める神事で、
それに使われる水を、鴨川から汲み上げる神事を「神用水清祓」と呼んでいます。
以下の模様は、
昨年の2006年7月28日の神輿を清め収めるための「神用水清祓」の様子です。
梅雨も明けて、夏空が広がった暑い日の朝10時から始まりました。
四條大橋の下流側の欄干に、斎竹に注連縄が張られています。
ここから縄の先に手桶を付けて川面まで垂らし、井戸から水を汲み上げる様にして水を取ります。
川端沿いの川岸(東岸)、ちょうど四條大橋と団栗橋の中間あたり。
汲んだ水に御祓いをして清め、
夜の神輿洗式で使われるまで置いておく斎場が設けられています。
この四條大橋から松原橋(旧五條大橋)の間を、昔は「宮川」と呼んでいたようです。
その宮川の名が、現在も地名となって、今の「宮川町」や「宮川筋」に残っています。
まず、「神用水清祓」は四条通縄手東入南側の「仲源寺」の境内から始まります。
この仲源寺は、「めやみ地蔵」の名で親しまれています。
安貞2年(1228)、鴨川が氾濫したとき地蔵菩薩を安置して、
雨止(めやみ)地蔵と名付けたのが起こりとされていますが、
その雨止(あめやみ)が転じて、目疾みとなり、眼病治癒にご利益があるといわれています。
※洛陽三十三所観音巡礼の第十六番札所。
神用水を汲む手桶三つが二組と、四條大橋の上から水を汲むための長い縄の付いた桶二つ。
綺麗な桶三つが、鴨川(宮川)の斎場に置かれ、
万が一のことを考え、古い手桶三つは予備として、ここ仲源寺に保管されます。
ご奉仕の方々が集まりだしました。
神職と巫女さんが、奥より出てこられました。
いよいよ始まるようです。
水で手を清めます。
神社で参拝する時に、手水で手を清めるのと同じですね。
ご奉仕の方も、順番にそれぞれ手を清められています。
大人に混じって、小さな子供もご奉仕の一員なのです。
みんなと同じように、手を清めています。
こうやって受け継がれていく、慣わしや伝統なんです。
神職、楽人、ご奉仕の方々、みなさん整列されました。
準備が整ったようです。
全員に御祓いをされていきます。
それぞれ手に桶を持ち、鴨川に向かいます。
仲源寺から四条通の南側を西に進みます。
南座の前も通り過ぎて行きます。
さっきの少年も、お役を務めています。
これは神用水の桶の蓋ですね。
しっかりと持った手が、真剣な眼差しとともに、とても清清しいですね。
四條大橋の下流側の橋端に着きました。
注連縄の張られたところで御祓いが行われてた後、
二組に分かれて、鴨川の水を汲み上げるのです。
意外に高いんですよね。
ちょうど釣瓶のない井戸から水を汲み上げる感じと同じです。
水を捉えた桶が水流の勢いを受けて、下流方向へ縄を引っ張っています。
これを、手桶の数だけ繰り返して汲み上げます。
それぞれ三つの手桶がありましたから、三回繰り返しですね。
汲み終えると、今度はその水を、冒頭で紹介した宮川端の斎場まで持って行き、
そこで祝詞奏上の後、神用水を祓清めて祀るのです。
綺麗な方の手桶が三つ、蓋をされて祀られています。
そのすぐ下の盛り砂には、先程の榊が建てられ、神さんがここに御座すということですね。
神事を終えて、皆さんはもと来た道を仲源寺へ戻られます。
仲源寺の前では、再び楽奏されている中を戻ってきます。
綺麗に整列の後、一同、礼をされて神用水清祓いの神事が終りになります。
静かになった仲源寺の境内には、予備の手桶が置かれていました。
夜の神輿洗いが、無事に滞りなく行われることを願いましょう。
時には土砂降り、時には小雨、とっても梅雨々々したお天気の中、
「神用水清祓」・「お迎え提灯」・「神輿洗」が行われました。
昨年に記事UP出来なかった画像等をUPさせた頂きます。
「神輿洗式」は、7月10日と28日の夜に二回行われる神輿を清める神事で、
それに使われる水を、鴨川から汲み上げる神事を「神用水清祓」と呼んでいます。
以下の模様は、
昨年の2006年7月28日の神輿を清め収めるための「神用水清祓」の様子です。
梅雨も明けて、夏空が広がった暑い日の朝10時から始まりました。
四條大橋の下流側の欄干に、斎竹に注連縄が張られています。
ここから縄の先に手桶を付けて川面まで垂らし、井戸から水を汲み上げる様にして水を取ります。
川端沿いの川岸(東岸)、ちょうど四條大橋と団栗橋の中間あたり。
汲んだ水に御祓いをして清め、
夜の神輿洗式で使われるまで置いておく斎場が設けられています。
この四條大橋から松原橋(旧五條大橋)の間を、昔は「宮川」と呼んでいたようです。
その宮川の名が、現在も地名となって、今の「宮川町」や「宮川筋」に残っています。
まず、「神用水清祓」は四条通縄手東入南側の「仲源寺」の境内から始まります。
この仲源寺は、「めやみ地蔵」の名で親しまれています。
安貞2年(1228)、鴨川が氾濫したとき地蔵菩薩を安置して、
雨止(めやみ)地蔵と名付けたのが起こりとされていますが、
その雨止(あめやみ)が転じて、目疾みとなり、眼病治癒にご利益があるといわれています。
※洛陽三十三所観音巡礼の第十六番札所。
神用水を汲む手桶三つが二組と、四條大橋の上から水を汲むための長い縄の付いた桶二つ。
綺麗な桶三つが、鴨川(宮川)の斎場に置かれ、
万が一のことを考え、古い手桶三つは予備として、ここ仲源寺に保管されます。
ご奉仕の方々が集まりだしました。
神職と巫女さんが、奥より出てこられました。
いよいよ始まるようです。
水で手を清めます。
神社で参拝する時に、手水で手を清めるのと同じですね。
ご奉仕の方も、順番にそれぞれ手を清められています。
大人に混じって、小さな子供もご奉仕の一員なのです。
みんなと同じように、手を清めています。
こうやって受け継がれていく、慣わしや伝統なんです。
神職、楽人、ご奉仕の方々、みなさん整列されました。
準備が整ったようです。
全員に御祓いをされていきます。
それぞれ手に桶を持ち、鴨川に向かいます。
仲源寺から四条通の南側を西に進みます。
南座の前も通り過ぎて行きます。
さっきの少年も、お役を務めています。
これは神用水の桶の蓋ですね。
しっかりと持った手が、真剣な眼差しとともに、とても清清しいですね。
四條大橋の下流側の橋端に着きました。
注連縄の張られたところで御祓いが行われてた後、
二組に分かれて、鴨川の水を汲み上げるのです。
意外に高いんですよね。
ちょうど釣瓶のない井戸から水を汲み上げる感じと同じです。
水を捉えた桶が水流の勢いを受けて、下流方向へ縄を引っ張っています。
これを、手桶の数だけ繰り返して汲み上げます。
それぞれ三つの手桶がありましたから、三回繰り返しですね。
汲み終えると、今度はその水を、冒頭で紹介した宮川端の斎場まで持って行き、
そこで祝詞奏上の後、神用水を祓清めて祀るのです。
綺麗な方の手桶が三つ、蓋をされて祀られています。
そのすぐ下の盛り砂には、先程の榊が建てられ、神さんがここに御座すということですね。
神事を終えて、皆さんはもと来た道を仲源寺へ戻られます。
仲源寺の前では、再び楽奏されている中を戻ってきます。
綺麗に整列の後、一同、礼をされて神用水清祓いの神事が終りになります。
静かになった仲源寺の境内には、予備の手桶が置かれていました。
夜の神輿洗いが、無事に滞りなく行われることを願いましょう。
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神輿洗
ずんずん
2007-07-11T22:00:00+09:00
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祇園祭2006 還幸祭・八坂神社 7月24日
https://zunzun2.kyo2.jp/e3378.html
地図はこちら
子供のベストショットは、なかなか撮れそうで撮れないないものです。
親泣かせの知らん振り。
個人的には、ぎっくり腰が出そうで怖い体勢。
中御座がようやく祇園石段下にやってきた。
広いはずの交差点も、人並みで埋め尽されてしまいました。
差し上げもガンガン行ってます。
境内に入ってからも、勢いを増して拝殿回しが始まりました。
神輿洗いを除けば、これが今年の祇園さんの神輿は担ぎ収めです。
思い残すことなく、念入りにやっときましょ。
親子三代。
この児が神輿を担ぐ時も、やっぱりこの気合と迫力は祇園祭を支え続けているでしょう。
東御座も境内へ。
轅の長さが際立ってますね。
拝殿回しも、勢いをそのままに始まった。
その後、西御座も無事に着社。舞殿にも綺麗に収まった。
見事三基の神輿が、夕方5時に出発して7時間が経って、再び八坂神社で勢揃いした。
中・東・西の神輿が、ライトに照らされ、金色に輝いている。
今から境内の一切の照明が消され、神輿から本殿へ神霊遷しが行われる。
真っ暗な闇の中、本殿奥で古代琴のような音色で琴がボロロンボロロンと爪弾かれる。
前後4名の神職が白い幕を持ち、その幕で囲まれた中に二人の神職が入っている。
その二名の内一人が神輿一基一基それぞれ御神霊を遷し変えたあと、
再び幕に囲まれて本殿に戻るのである。
御神霊を遷している最中なのか、その前後か、
神職の口から「おぉ~」という、唸っている様な低い声が響くのである。
しばらくして、本殿に無事、御神霊がお還りなったと同時に、境内の照明が点灯される。
闇になれた眼が、その明るさに眩しく、
さっきまでの不思議な時間から目覚めるのである。
その間、わずか10分位か、神秘的な空気が境内を蓋うのである。
無事に還幸祭を終え、静かに佇んでいる中・東・西御座の神輿三基である。
すでに時計は、午前1時前である。
しかし、今年の祇園祭はよく雨が降ったもんです。
あとは、28日の神輿洗で神輿は倉に仕舞われ、
29日の神事済奉告祭・31日の疫神社夏越祭で、今年の祇園祭は全ての行事を終了するのである。
さあ、神輿洗はきっちり晴れてくれよ。
地図はこちら
子供のベストショットは、なかなか撮れそうで撮れないないものです。
親泣かせの知らん振り。
個人的には、ぎっくり腰が出そうで怖い体勢。
中御座がようやく祇園石段下にやってきた。
広いはずの交差点も、人並みで埋め尽されてしまいました。
差し上げもガンガン行ってます。
境内に入ってからも、勢いを増して拝殿回しが始まりました。
神輿洗いを除けば、これが今年の祇園さんの神輿は担ぎ収めです。
思い残すことなく、念入りにやっときましょ。
親子三代。
この児が神輿を担ぐ時も、やっぱりこの気合と迫力は祇園祭を支え続けているでしょう。
東御座も境内へ。
轅の長さが際立ってますね。
拝殿回しも、勢いをそのままに始まった。
その後、西御座も無事に着社。舞殿にも綺麗に収まった。
見事三基の神輿が、夕方5時に出発して7時間が経って、再び八坂神社で勢揃いした。
中・東・西の神輿が、ライトに照らされ、金色に輝いている。
今から境内の一切の照明が消され、神輿から本殿へ神霊遷しが行われる。
真っ暗な闇の中、本殿奥で古代琴のような音色で琴がボロロンボロロンと爪弾かれる。
前後4名の神職が白い幕を持ち、その幕で囲まれた中に二人の神職が入っている。
その二名の内一人が神輿一基一基それぞれ御神霊を遷し変えたあと、
再び幕に囲まれて本殿に戻るのである。
御神霊を遷している最中なのか、その前後か、
神職の口から「おぉ~」という、唸っている様な低い声が響くのである。
しばらくして、本殿に無事、御神霊がお還りなったと同時に、境内の照明が点灯される。
闇になれた眼が、その明るさに眩しく、
さっきまでの不思議な時間から目覚めるのである。
その間、わずか10分位か、神秘的な空気が境内を蓋うのである。
無事に還幸祭を終え、静かに佇んでいる中・東・西御座の神輿三基である。
すでに時計は、午前1時前である。
しかし、今年の祇園祭はよく雨が降ったもんです。
あとは、28日の神輿洗で神輿は倉に仕舞われ、
29日の神事済奉告祭・31日の疫神社夏越祭で、今年の祇園祭は全ての行事を終了するのである。
さあ、神輿洗はきっちり晴れてくれよ。]]>
還幸祭
ずんずん
2006-08-22T22:31:00+09:00
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祇園祭2006 還幸祭・三条御供社 7月24日
https://zunzun2.kyo2.jp/e3376.html
三若の亀田3兄弟登場!って感じです。 地図はこちら
この姿、気合入っとるね。
中御座の到着を、みんな今や遅しと待ち構えています。
沿道、右に見えています「コーヒータイム ケーキとあっくん」さんには、
いろいろと貴重なお話、資料も拝見させていただき、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
御供社の境内は、神輿を迎える準備は万全。
いつでも、いらっしゃ~い!
見えてきました、中御座の到着です。
神輿会の旗が勢いよく翻っています。
着輿まもなく、御供社の前で「ほいっと、ほいっと」の掛け声とともに、激しく揺さぶります。
神さんは、激しく揺さぶれば揺さぶるほど、喜ばはるそうです。
そのあと、静かに御供社前に安置され、
境内の中から神職・役員の方々により、神饌がお供えされます。
その間、神事が行われている前を人が横切らないように、
中御座と御供社の間の東西を固めています。
ここは、中御座を担ぐ、三若神輿会の本拠地です。
すぐそばに、三条台若中の会所もあります。
30分ほどの休憩を取って、鋭気を養って出輿の時を待ちます。
カピカ光っている鳴りかん。
ここぞとばかりに、みんなカメラを向けたり、ビデオを撮ったり。
子供は、鳴りかんが、どうしても触ってみたくなるのでしょう。
シャンシャンを威勢のいい音を立てているので、気になるんですよね。
代わり交替で、記念撮影の嵐です。
さあ、出発の時間がやってきました。
「よぉ~さぁの!チャチャチャ。よぉ~さぁの!チャチャチャ。よぉ~さぁの!チャチャチャ。おぉ~!」
手締めで、気合を入れて、よっしゃ!行きまっせ~っ!
いきなり差し上げで、そのまま激しく揺さぶっています。
手拍子に、ホイットホイットの掛け声が入り混じり、
普段は広く感じる三条通も、狭い狭い!
いよいよ、神輿が差し上げから弾き出るように東へ動き出しました。
猛烈な勢いで、しかも左右に蛇行しながら、掛け声と怒号がすごい迫力。
ますます勢いを増し、人の波と神輿が一体になって、上下に揺れながら前進してきます。
一瞬、危険を感じる迫力。
なんとも血が沸く瞬間のあと、静かに怒涛の波と風が通り過ぎていった。
そうこうしている内に、ほとんど入れ替わる形で、東御座が御供社前に着輿。
今年新調の轅が真新しく、威勢のいい差し上げと差し回しで迫力満点です。
この轅、今までのものより4mも長くなり、国内の神輿の轅では最長とのことでした。
長さのあまり細い辻を曲がりきれるかが一抹の不安あり、という情報でしたが、
なんとか大丈夫のようでした。
東御座に続き、西御座もようやく大宮通を南行して、三条通までやってきました。
先行している中御座・東御座に追いつく勢いで進んでいます。
三条御供社も駐輿することなく、そのまま通過。
すごい勢いで二基を追い上げている。
再び三つの神輿が集結するのは、八坂神社の境内。
おそらく深夜12時近くになるでしょう。
神事の終わった斎竹は、もうぐちゃぐちゃ。
このあと、綺麗に片付けられていました。
舗装路面にオハケを立てる穴があるのを発見。
しっかり三つ開いていおります。
地図はこちら
この姿、気合入っとるね。
中御座の到着を、みんな今や遅しと待ち構えています。
沿道、右に見えています「コーヒータイム ケーキとあっくん」さんには、
いろいろと貴重なお話、資料も拝見させていただき、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
御供社の境内は、神輿を迎える準備は万全。
いつでも、いらっしゃ~い!
見えてきました、中御座の到着です。
神輿会の旗が勢いよく翻っています。
着輿まもなく、御供社の前で「ほいっと、ほいっと」の掛け声とともに、激しく揺さぶります。
神さんは、激しく揺さぶれば揺さぶるほど、喜ばはるそうです。
そのあと、静かに御供社前に安置され、
境内の中から神職・役員の方々により、神饌がお供えされます。
その間、神事が行われている前を人が横切らないように、
中御座と御供社の間の東西を固めています。
ここは、中御座を担ぐ、三若神輿会の本拠地です。
すぐそばに、三条台若中の会所もあります。
30分ほどの休憩を取って、鋭気を養って出輿の時を待ちます。
カピカ光っている鳴りかん。
ここぞとばかりに、みんなカメラを向けたり、ビデオを撮ったり。
子供は、鳴りかんが、どうしても触ってみたくなるのでしょう。
シャンシャンを威勢のいい音を立てているので、気になるんですよね。
代わり交替で、記念撮影の嵐です。
さあ、出発の時間がやってきました。
「よぉ~さぁの!チャチャチャ。よぉ~さぁの!チャチャチャ。よぉ~さぁの!チャチャチャ。おぉ~!」
手締めで、気合を入れて、よっしゃ!行きまっせ~っ!
いきなり差し上げで、そのまま激しく揺さぶっています。
手拍子に、ホイットホイットの掛け声が入り混じり、
普段は広く感じる三条通も、狭い狭い!
いよいよ、神輿が差し上げから弾き出るように東へ動き出しました。
猛烈な勢いで、しかも左右に蛇行しながら、掛け声と怒号がすごい迫力。
ますます勢いを増し、人の波と神輿が一体になって、上下に揺れながら前進してきます。
一瞬、危険を感じる迫力。
なんとも血が沸く瞬間のあと、静かに怒涛の波と風が通り過ぎていった。
そうこうしている内に、ほとんど入れ替わる形で、東御座が御供社前に着輿。
今年新調の轅が真新しく、威勢のいい差し上げと差し回しで迫力満点です。
この轅、今までのものより4mも長くなり、国内の神輿の轅では最長とのことでした。
長さのあまり細い辻を曲がりきれるかが一抹の不安あり、という情報でしたが、
なんとか大丈夫のようでした。
東御座に続き、西御座もようやく大宮通を南行して、三条通までやってきました。
先行している中御座・東御座に追いつく勢いで進んでいます。
三条御供社も駐輿することなく、そのまま通過。
すごい勢いで二基を追い上げている。
再び三つの神輿が集結するのは、八坂神社の境内。
おそらく深夜12時近くになるでしょう。
神事の終わった斎竹は、もうぐちゃぐちゃ。
このあと、綺麗に片付けられていました。
舗装路面にオハケを立てる穴があるのを発見。
しっかり三つ開いていおります。
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還幸祭
ずんずん
2006-08-22T21:40:00+09:00
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祇園祭2006 還幸祭 神泉苑・二条陣屋 7月24日
https://zunzun2.kyo2.jp/e3377.html
二条陣屋近くの旧家の軒にかかっていた提灯。
二条陣屋の前の様子。 地図はこちら
天幕が張られ、床几に桶が置かれている。
変わっているのは、先に御幣を三本指した、小田原提灯風の高張提灯。
提灯のすぐ下に、大きな鈴がぶら下がっている。
見て驚いたのは、御幣の中心についていた額。
「感神院」の文字が読み取れます。
感神院というのは、明治維新以前の八坂神社の名称で、
明治元年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)より前は、
「祇園社」や「祇園感神院」と呼ばれていた。
神泉苑前の様子です。
中御座の到着を、待ち望んでいる感じです。
現在の神泉苑は、東寺真言宗の寺院で本尊は聖観音です。
ですから、待っておられるのも東寺の方々のようです。
よかろう太鼓の奉納もされています。
二条陣屋近くの旧家の軒にかかっていた提灯。
二条陣屋の前の様子。 地図はこちら
天幕が張られ、床几に桶が置かれている。
変わっているのは、先に御幣を三本指した、小田原提灯風の高張提灯。
提灯のすぐ下に、大きな鈴がぶら下がっている。
見て驚いたのは、御幣の中心についていた額。
「感神院」の文字が読み取れます。
感神院というのは、明治維新以前の八坂神社の名称で、
明治元年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)より前は、
「祇園社」や「祇園感神院」と呼ばれていた。
神泉苑前の様子です。
中御座の到着を、待ち望んでいる感じです。
現在の神泉苑は、東寺真言宗の寺院で本尊は聖観音です。
ですから、待っておられるのも東寺の方々のようです。
よかろう太鼓の奉納もされています。
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還幸祭
ずんずん
2006-08-18T23:23:32+09:00
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祇園祭2006 還幸祭・中御座渡御 7月24日
https://zunzun2.kyo2.jp/e3375.html
神宝捧持列・久世駒形稚児を追いかけるように、
中御座(素盞嗚尊)が四条寺町・四条御旅所を出発します。
御奉仕は、三若神輿会です。
三基の神輿が、順次四条御旅所を出発。
北は御池通、西は千本通、南は高辻通の氏子区域を巡行した後、
八坂神社へ還幸します。
途中、大政所御旅所旧址と三条御供社とには、三基の神輿全てが立ち寄ります。
出発前の風景です。
四条通は人で埋め尽くされています。
次代の神輿会を背負って立つ、可愛くも勇ましい三若子供連。
豊園榊の泉正寺町(高辻通堺町)では、神輿を迎える準備が進められています。
町内には八坂神社の祠はないのですが、
祭壇が設けられて、中御座は暫しここで休憩をとります。 地図はこちら
この泉正寺町は、神幸祭には真榊を奉賛しており、
祇園祭には無くてはならない、重要な役を務めて居られます。
中御座がやってきました。
さあ、祭壇の前で一気に差し上げます。
しばし休憩の後、出発して大政所を目指します。
先頭の子供連が大政所前に到着です。
すぐ後に、中御座もやってきています。
中御座も程なく到着です。
ここでは、静かに安置され担手達は小休止です。
さあ、再び出発です。
次は、神泉苑を目指して前進です。
この先は、つづく。
中御座(素盞嗚尊)が四条寺町・四条御旅所を出発します。
御奉仕は、三若神輿会です。
三基の神輿が、順次四条御旅所を出発。
北は御池通、西は千本通、南は高辻通の氏子区域を巡行した後、
八坂神社へ還幸します。
途中、大政所御旅所旧址と三条御供社とには、三基の神輿全てが立ち寄ります。
出発前の風景です。
四条通は人で埋め尽くされています。
次代の神輿会を背負って立つ、可愛くも勇ましい三若子供連。
豊園榊の泉正寺町(高辻通堺町)では、神輿を迎える準備が進められています。
町内には八坂神社の祠はないのですが、
祭壇が設けられて、中御座は暫しここで休憩をとります。 地図はこちら
この泉正寺町は、神幸祭には真榊を奉賛しており、
祇園祭には無くてはならない、重要な役を務めて居られます。
中御座がやってきました。
さあ、祭壇の前で一気に差し上げます。
しばし休憩の後、出発して大政所を目指します。
先頭の子供連が大政所前に到着です。
すぐ後に、中御座もやってきています。
中御座も程なく到着です。
ここでは、静かに安置され担手達は小休止です。
さあ、再び出発です。
次は、神泉苑を目指して前進です。
この先は、つづく。]]>
還幸祭
ずんずん
2006-08-18T22:39:17+09:00
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祇園祭2006 還幸祭・久世駒形稚児 7月24日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2642.html
還幸祭の久世駒形稚児を務める、渡邉智彦君。
幼さの残る顔も、しっかりと手綱を握る姿は凛々しくもありますね。
この久世駒形稚児。
南区久世(旧乙訓郡上久世村)の綾戸国中神社から神そのものとして、
馬の形をした木彫りの御神体の「駒形」を胸に付けて馬に乗り、
神輿のひとつの中御座(素盞鳴尊)を先導します。
この綾戸国中神社は、地図はこちら
もともと大綾津日神、大直日神、神直日神を祀る「綾戸神社」と、
素盞嗚尊を祀る「國中神社」が、2つの社殿を並べる形で鎮座していたのですが、
昭和9年の台風により倒壊したため、昭和11年に1つの社殿として再建されたのです。
現在、一社殿の向かって左側の扉に綾戸神社、右側の扉に國中神社がお祀りされています。
この祇園祭の神幸祭・還幸祭で重要な役を担うのが、
もちろん素盞嗚尊を祀る「國中神社」です。
八坂神社(素盞嗚尊)の和御魂(にぎみたま・穏やかで優しい面)と、
國中神社(素盞嗚尊)の荒御魂(あらみたま・荒々しい面)とが、
一体になって一つの神になると古文書には記されています。
まさに、駒形稚児は中御座と同格なんですよね。
それを裏付けるものに、
五位の位階が与えられる長刀鉾稚児は言うに及ばず、
皇族でさえも下馬が必要とされる八坂神社の境内を、
下馬せずに参内できるということからも、
駒形稚児は、"位"云々で語れるものではないことがわかります。
胸には、御神体の馬の頭(駒形)を戴いています。
ガイド本の中には、御神体を模した駒形と書かれたものもありますが、
この駒形は御神体そのものです。
神代の頃、午頭天皇=素戔鳴尊が山城の地、西の岡訓世の郷がまだ一面の湖水であった頃、
天から降り給い、水を切り流して國となし、その中心とおぼしき所に符を遣わし給うたのです。
その符というのが、素戔鳴尊の愛馬「天幸駒」の頭を自ら彫って、
新羅に渡海の前に尊の形見として遣わし給うたものでした。
この形見=馬の頭が國中宮の御神体として、現在も祀られているというものです。
普通、様々な神社の御神体を目の当たりにすることは無いと思うのですが、
これは、白日の下にさらされているんですから、
すごいことです。
普段は、おやしろの中の扉の内、御簾・幕の奥の唐櫃の中に納められているのです。
こんな風に写真撮って、バチ当たらへんやろか。
出発前の控え地・京都大神宮(寺町四条下ル)で、
役員の方々の記念撮影。
控え室で静かに出発を待つ駒形稚児の渡邉智彦君。
四条寺町から南行、高辻通を西に向かう駒形稚児神宝捧持列。
烏丸通高辻上ル東側の「大政所御旅所旧址」。
まもなく、駒形稚児が到着します。
八坂雅楽隊の方々による、演奏始まりました。
大政所の前で、一礼をして通っていきます。
駒形稚児は、馬上のままです。
さあ、ここから北西へ。
神泉苑を経て三条御供社、そこから三条を東行、
三条寺町を南に、四条寺町から東に向かって還幸となります。
幼さの残る顔も、しっかりと手綱を握る姿は凛々しくもありますね。
この久世駒形稚児。
南区久世(旧乙訓郡上久世村)の綾戸国中神社から神そのものとして、
馬の形をした木彫りの御神体の「駒形」を胸に付けて馬に乗り、
神輿のひとつの中御座(素盞鳴尊)を先導します。
この綾戸国中神社は、地図はこちら
もともと大綾津日神、大直日神、神直日神を祀る「綾戸神社」と、
素盞嗚尊を祀る「國中神社」が、2つの社殿を並べる形で鎮座していたのですが、
昭和9年の台風により倒壊したため、昭和11年に1つの社殿として再建されたのです。
現在、一社殿の向かって左側の扉に綾戸神社、右側の扉に國中神社がお祀りされています。
この祇園祭の神幸祭・還幸祭で重要な役を担うのが、
もちろん素盞嗚尊を祀る「國中神社」です。
八坂神社(素盞嗚尊)の和御魂(にぎみたま・穏やかで優しい面)と、
國中神社(素盞嗚尊)の荒御魂(あらみたま・荒々しい面)とが、
一体になって一つの神になると古文書には記されています。
まさに、駒形稚児は中御座と同格なんですよね。
それを裏付けるものに、
五位の位階が与えられる長刀鉾稚児は言うに及ばず、
皇族でさえも下馬が必要とされる八坂神社の境内を、
下馬せずに参内できるということからも、
駒形稚児は、"位"云々で語れるものではないことがわかります。
胸には、御神体の馬の頭(駒形)を戴いています。
ガイド本の中には、御神体を模した駒形と書かれたものもありますが、
この駒形は御神体そのものです。
神代の頃、午頭天皇=素戔鳴尊が山城の地、西の岡訓世の郷がまだ一面の湖水であった頃、
天から降り給い、水を切り流して國となし、その中心とおぼしき所に符を遣わし給うたのです。
その符というのが、素戔鳴尊の愛馬「天幸駒」の頭を自ら彫って、
新羅に渡海の前に尊の形見として遣わし給うたものでした。
この形見=馬の頭が國中宮の御神体として、現在も祀られているというものです。
普通、様々な神社の御神体を目の当たりにすることは無いと思うのですが、
これは、白日の下にさらされているんですから、
すごいことです。
普段は、おやしろの中の扉の内、御簾・幕の奥の唐櫃の中に納められているのです。
こんな風に写真撮って、バチ当たらへんやろか。
出発前の控え地・京都大神宮(寺町四条下ル)で、
役員の方々の記念撮影。
控え室で静かに出発を待つ駒形稚児の渡邉智彦君。
四条寺町から南行、高辻通を西に向かう駒形稚児神宝捧持列。
烏丸通高辻上ル東側の「大政所御旅所旧址」。
まもなく、駒形稚児が到着します。
八坂雅楽隊の方々による、演奏始まりました。
大政所の前で、一礼をして通っていきます。
駒形稚児は、馬上のままです。
さあ、ここから北西へ。
神泉苑を経て三条御供社、そこから三条を東行、
三条寺町を南に、四条寺町から東に向かって還幸となります。
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還幸祭
ずんずん
2006-08-18T20:53:32+09:00
-
祇園祭2006 花傘巡行 7月24日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2544.html
●祇園祭・花傘巡行(はながさじゅんこう) 地図はこちら
24日の午前中、八坂石段下を朝10時出発で花傘巡行が行われました。
元々、17日に前祭(さきまつり) 24日に後祭(あとまつり)として、
山鉾が巡行されていたのですが、
大規模な交通規制の必要がある山鉾巡行を一本化しようということになり、
昭和41年の巡行から17日に山鉾巡行が統合されてしまいました。
その後、24日に巡行が無いのでは、
本来の山鉾巡行の役目(神幸祭・還幸祭の御神輿渡御の道中を清める)を成すものが、
24日は無くなってしまうことになるので、
何か行事を行おうということから、始められました。
花傘巡行の金獅子です。
カメラを構えていたら、このスタイルでじっと動かずに待っていてくれました。
ありがとうございます、金獅子さん。
子供や女子の頭を、はむはむして回っている銀獅子くんです。
噛んでもらうと、毎日が健やかに送れるようになりますよ。
最先頭は、開智子供みこし会から、開智童心太鼓と子供みこしの御奉仕です。
宮本組が先導をして、行列を先行して道中を整えて進んでゆきます。
狭い寺町京極を巡行してゆきます。
巡行順路は、
東大路通四条上ル(祇園石段下の北の円山公園口)-四条通を西へ
-河原町通を北へ-御池通を西へ-寺町通を南へ-四条通を東へ
-祇園石段下から南へ-神幸道から南楼門をくぐって本社へ。
・神饌行列です。
・祇園太鼓の演奏をしながらの巡行です。
・母衣武者(ほろむしゃ)
洛中洛外図屏風などに描かれている、昔の祇園祭には多く母衣武者が見られます。
この母衣は、戦場では背面からの流れ矢を防ぐ役目をした防具の一種でしたが、
時代が下って室町期頃から、装飾具に変化して指物(さしもの)の一種となったようです。
・京都織物卸商業組合 花笠娘の一団です。
・宮川町お茶屋組合から、コンチキ踊の御奉仕です。
後から団扇で扇いでもらって、山車を引っ張るお兄ちゃんも、若干ニヤケ気味です。
・祇園甲部お茶屋組合からは、雀踊の御奉仕です。
踊りの装束とはいえ、笠をかぶっているので、折角の綺麗な表情が見えなくて残念でした。
・祇園祭山鉾連合会からは、月鉾町の囃方さんたちが祇園囃子の御奉仕です。
行列は八坂神社に到着した後、舞殿にてそれぞれの各種芸能を奉納されました。
いよいよ、今晩(24日)は還幸祭です。
地図はこちら
24日の午前中、八坂石段下を朝10時出発で花傘巡行が行われました。
元々、17日に前祭(さきまつり) 24日に後祭(あとまつり)として、
山鉾が巡行されていたのですが、
大規模な交通規制の必要がある山鉾巡行を一本化しようということになり、
昭和41年の巡行から17日に山鉾巡行が統合されてしまいました。
その後、24日に巡行が無いのでは、
本来の山鉾巡行の役目(神幸祭・還幸祭の御神輿渡御の道中を清める)を成すものが、
24日は無くなってしまうことになるので、
何か行事を行おうということから、始められました。
花傘巡行の金獅子です。
カメラを構えていたら、このスタイルでじっと動かずに待っていてくれました。
ありがとうございます、金獅子さん。
子供や女子の頭を、はむはむして回っている銀獅子くんです。
噛んでもらうと、毎日が健やかに送れるようになりますよ。
最先頭は、開智子供みこし会から、開智童心太鼓と子供みこしの御奉仕です。
宮本組が先導をして、行列を先行して道中を整えて進んでゆきます。
狭い寺町京極を巡行してゆきます。
巡行順路は、
東大路通四条上ル(祇園石段下の北の円山公園口)-四条通を西へ
-河原町通を北へ-御池通を西へ-寺町通を南へ-四条通を東へ
-祇園石段下から南へ-神幸道から南楼門をくぐって本社へ。
・神饌行列です。
・祇園太鼓の演奏をしながらの巡行です。
・母衣武者(ほろむしゃ)
洛中洛外図屏風などに描かれている、昔の祇園祭には多く母衣武者が見られます。
この母衣は、戦場では背面からの流れ矢を防ぐ役目をした防具の一種でしたが、
時代が下って室町期頃から、装飾具に変化して指物(さしもの)の一種となったようです。
・京都織物卸商業組合 花笠娘の一団です。
・宮川町お茶屋組合から、コンチキ踊の御奉仕です。
後から団扇で扇いでもらって、山車を引っ張るお兄ちゃんも、若干ニヤケ気味です。
・祇園甲部お茶屋組合からは、雀踊の御奉仕です。
踊りの装束とはいえ、笠をかぶっているので、折角の綺麗な表情が見えなくて残念でした。
・祇園祭山鉾連合会からは、月鉾町の囃方さんたちが祇園囃子の御奉仕です。
行列は八坂神社に到着した後、舞殿にてそれぞれの各種芸能を奉納されました。
いよいよ、今晩(24日)は還幸祭です。]]>
花傘巡行
ずんずん
2006-07-26T22:37:00+09:00
-
祇園祭2006 三条御供社・修祓い 7月23日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2543.html
八坂御供社(三条御供社or又旅社)の鳥居の額。 地図はこちら
22日に建てられた斎竹に、オハケ(御幣)が三本建てられました。
路面のアスファルト舗装にも、このオハケを挿す穴が開いています。
(24日の撤去後の様子を参照して下さい)
真中のオハケ…中御座(素盞鳴尊)、右側…東御座(櫛稲田姫命)、左側…西御座(八柱御子神)
が、それぞれ依り代とされます。
きれいな芝生が、枯れずに青々としています。
昨日(22日)の大工方さんのご苦労が実っています。
午後2時からの修祓いとご講話に、人が集まり始めました。
まず、お祓いから玉串奉奠が行われました。
その後、八坂神社 宮司より「御供社とオハケ」の由来についてのご講話がありました。
この三条御供社の由来など、たいへん興味深いお話を聞くことができました。
さあ、明日の還幸祭を待つばかりです。
地図はこちら
22日に建てられた斎竹に、オハケ(御幣)が三本建てられました。
路面のアスファルト舗装にも、このオハケを挿す穴が開いています。
(24日の撤去後の様子を参照して下さい)
真中のオハケ…中御座(素盞鳴尊)、右側…東御座(櫛稲田姫命)、左側…西御座(八柱御子神)
が、それぞれ依り代とされます。
きれいな芝生が、枯れずに青々としています。
昨日(22日)の大工方さんのご苦労が実っています。
午後2時からの修祓いとご講話に、人が集まり始めました。
まず、お祓いから玉串奉奠が行われました。
その後、八坂神社 宮司より「御供社とオハケ」の由来についてのご講話がありました。
この三条御供社の由来など、たいへん興味深いお話を聞くことができました。
さあ、明日の還幸祭を待つばかりです。]]>
三条御供社
ずんずん
2006-07-25T21:09:00+09:00
-
祇園祭2006 四条御旅所・鉾町お囃子 7月21日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2538.html
17日夜の神幸祭で御神輿3基が八坂神社から渡御し、
24日迄の一週間をご神霊はこの四条御旅所にお留まりになります。 地図はこちら
この間、18?23日の6日間の夜7時から、
籤で決まった6町がお囃子の演奏をしはります。
21日は、岩戸山さんとこでした。
因みに、18日からの順番は、
四条傘-月-船-岩戸-綾傘-北観音の通りです。
7時前近くになると、岩戸山の囃方のメンバーが集まり始めはりました。
残りのメンバーが着替えを済ませて来はるのを、待ってはります。
いよいよ演奏が始まりました。
総勢で15名ほどで、鉦方さん7名、笛方さん6名、太鼓方さん2名です。
あと、岩戸山町の理事長さんをはじめ、他数名の方々が付き添ってはりました。
17日夜の神幸祭の後、四条御旅所もきれいに祭壇が出来あがりました。
四条御旅所の祭壇をはさんで両側に、西殿と東殿があります。
こちらは、西殿。
この前でお囃子が奉納されました。
17日夜の神幸祭で御神輿3基が八坂神社から渡御し、
24日迄の一週間をご神霊はこの四条御旅所にお留まりになります。 地図はこちら
この間、18?23日の6日間の夜7時から、
籤で決まった6町がお囃子の演奏をしはります。
21日は、岩戸山さんとこでした。
因みに、18日からの順番は、
四条傘-月-船-岩戸-綾傘-北観音の通りです。
7時前近くになると、岩戸山の囃方のメンバーが集まり始めはりました。
残りのメンバーが着替えを済ませて来はるのを、待ってはります。
いよいよ演奏が始まりました。
総勢で15名ほどで、鉦方さん7名、笛方さん6名、太鼓方さん2名です。
あと、岩戸山町の理事長さんをはじめ、他数名の方々が付き添ってはりました。
17日夜の神幸祭の後、四条御旅所もきれいに祭壇が出来あがりました。
四条御旅所の祭壇をはさんで両側に、西殿と東殿があります。
こちらは、西殿。
この前でお囃子が奉納されました。
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四条御旅所
ずんずん
2006-07-24T04:03:00+09:00
-
祇園祭2006 三条御供社・斎竹建て 7月22日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2486.html
24日の還幸祭で、この三条御供社に三基の神輿が立ち寄ります。 地図はこちら
そこで行われる御供社奉饌祭(ごくうしゃほうせんさい)に向けて、
22日朝10時から斎竹建てが行われました。
普段の三条御供社です。商店街の中のお宮さんです。
鳥居の額には、八坂御供社の文字が見えます。
この三条御供社は、又旅社(又旅御供社)とも呼ばれています。
オハケ(御幣)の写真が載った由緒書。
お話をお聞きしたら、この御奉仕をはじめて20年になるとのことでした。
この注連縄は、北東の竹から時計回りに張っていくと、言っておられました。
芝が枯れないように、水を充分に与えてやります。
この芝も、このサイズに合うように、
また水持ちがいい様に土の厚みが10cm弱になるように、
専用のパレットで栽培してこの日に備えておられるとのことでした。
神霊の依り代としてのオハケ(御幣)三本は、
明日23日の朝に、この芝にの上に建てられます。
この三条通は、むかし神泉苑の南端に辺り、
この芝は、水辺を表していることから、
この場所が、神泉苑の池のほとりでの祭場であることを表現しているようです。
本来は、これで完成。
明日のオハケを建てるのを待つのみですが。。。。
最近は、心無い方がおられて、犬のオシッコをこの芝にさせたり、
色々と問題が有り、形だけでも黄色ロープを張って保護します。
24日の還幸祭で、この三条御供社に三基の神輿が立ち寄ります。 地図はこちら
そこで行われる御供社奉饌祭(ごくうしゃほうせんさい)に向けて、
22日朝10時から斎竹建てが行われました。
普段の三条御供社です。商店街の中のお宮さんです。
鳥居の額には、八坂御供社の文字が見えます。
この三条御供社は、又旅社(又旅御供社)とも呼ばれています。
オハケ(御幣)の写真が載った由緒書。
お話をお聞きしたら、この御奉仕をはじめて20年になるとのことでした。
この注連縄は、北東の竹から時計回りに張っていくと、言っておられました。
芝が枯れないように、水を充分に与えてやります。
この芝も、このサイズに合うように、
また水持ちがいい様に土の厚みが10cm弱になるように、
専用のパレットで栽培してこの日に備えておられるとのことでした。
神霊の依り代としてのオハケ(御幣)三本は、
明日23日の朝に、この芝にの上に建てられます。
この三条通は、むかし神泉苑の南端に辺り、
この芝は、水辺を表していることから、
この場所が、神泉苑の池のほとりでの祭場であることを表現しているようです。
本来は、これで完成。
明日のオハケを建てるのを待つのみですが。。。。
最近は、心無い方がおられて、犬のオシッコをこの芝にさせたり、
色々と問題が有り、形だけでも黄色ロープを張って保護します。
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三条御供社
ずんずん
2006-07-22T14:31:00+09:00
-
祇園祭2006 神幸祭・四条御旅所 7月17日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2340.html
●祇園祭・神幸祭(しんこうさい)
7月17日夕刻、三基の神輿が、八坂神社から四条御旅所へ渡御をします。 地図はこちら
「お出で」の日です。
三基とは、素盞鳴尊(中御座)、櫛稲田姫命(東御座)、八柱御子神(西御座)。
その日の午前中、山鉾町の氏子さんらにより清められた四条御旅所に、
北は二条通・南は松原通・西は寺町通の地域を三基別々のルートで渡御した後、
夜9時頃から、順次一時間位ごとに着輿します。
”お出で”は、祇園町の中を回るコースなので、
置き屋の舞妓さん・芸妓さんたちが揃って顔を出し、
お神輿に拍手を打つ姿が、また祇園祭らしい風情を味わえます。
これは、置き屋さん毎に固まって見れるので、とても得した気分になれます。
スサノオさんの家族構成は、
簡単に言うと、お父さん・お母さん・八人の子供達の10人家族。
父:素盞鳴尊(中御座)、母:櫛稲田姫命(東御座)、子:八柱御子神(西御座)です。
三基の最後で御旅所にやってきたのは、西御座です。
総勢600名:錦神輿会の御奉仕です。
神輿の重さは、2トンあまり。
現在、実際に担がれているものでは、最も重い神輿と言われています。
東殿前にて。
一同が静かに神事が進むのを待ちます。
無事に御旅所に神輿が収まりました。
手締めです。
氏子区域の残り・寺町通から西半分(西は千本通・北は御池通・南は高辻通)は、
24日の還幸祭(かんこうさい)で渡御して「お還えり」となります。
この時、三基の神輿は別々のルートで渡御をしますが、
「大政所御旅所旧趾」(烏丸通高辻上ル東側)と「三条御供社(又旅社)」(三条通黒門北西角)
には、必ず立ち寄ります。
御供社に立ち寄ったあとからは、三基とも一目散に三条通を東進し、
寺町通・四条通を経て還幸します。
7月17日夕刻、三基の神輿が、八坂神社から四条御旅所へ渡御をします。 地図はこちら
「お出で」の日です。
三基とは、素盞鳴尊(中御座)、櫛稲田姫命(東御座)、八柱御子神(西御座)。
その日の午前中、山鉾町の氏子さんらにより清められた四条御旅所に、
北は二条通・南は松原通・西は寺町通の地域を三基別々のルートで渡御した後、
夜9時頃から、順次一時間位ごとに着輿します。
”お出で”は、祇園町の中を回るコースなので、
置き屋の舞妓さん・芸妓さんたちが揃って顔を出し、
お神輿に拍手を打つ姿が、また祇園祭らしい風情を味わえます。
これは、置き屋さん毎に固まって見れるので、とても得した気分になれます。
スサノオさんの家族構成は、
簡単に言うと、お父さん・お母さん・八人の子供達の10人家族。
父:素盞鳴尊(中御座)、母:櫛稲田姫命(東御座)、子:八柱御子神(西御座)です。
三基の最後で御旅所にやってきたのは、西御座です。
総勢600名:錦神輿会の御奉仕です。
神輿の重さは、2トンあまり。
現在、実際に担がれているものでは、最も重い神輿と言われています。
東殿前にて。
一同が静かに神事が進むのを待ちます。
無事に御旅所に神輿が収まりました。
手締めです。
氏子区域の残り・寺町通から西半分(西は千本通・北は御池通・南は高辻通)は、
24日の還幸祭(かんこうさい)で渡御して「お還えり」となります。
この時、三基の神輿は別々のルートで渡御をしますが、
「大政所御旅所旧趾」(烏丸通高辻上ル東側)と「三条御供社(又旅社)」(三条通黒門北西角)
には、必ず立ち寄ります。
御供社に立ち寄ったあとからは、三基とも一目散に三条通を東進し、
寺町通・四条通を経て還幸します。]]>
神幸祭
ずんずん
2006-07-18T22:38:00+09:00
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祇園祭2006 長刀鉾・注連縄きり 7月17日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2316.html
さあ、お稚児さんの一世一代の大舞台です。 地図はこちら
一発勝負の注連縄切り。
見事、切って下さい。
15日の早朝に建てられた斎竹に、今日の9時過ぎ注連縄が張られました。
長刀鉾が、ゆっくりゆっくりと近づきます。
お囃子も、四条御旅所で八坂神社遥拝を済ませた後の”戻り囃子”と違って、
非常にゆっくりとしたお囃子です。
禿の浅見君から受け取った太刀の柄をしっかりと握り、
今まさに、抜き放とうとしています。
静かに、精神を集中して。
刀の切っ先を仰ぎ見ました。
刀を、左右左と3回大きく振ります。
そして、真っ向から刀を振り下ろします。
”トンッ”という、甲高い音とともに、見事注連縄切りを成しました。
お見事!周りの観客からは、一斉に拍手と歓声が沸きあがりました。
刀を元の鞘に戻します。
注連縄切りの間、禿の浅見君が鞘を持っていました。
きっちりと刀を鞘に収めます。
両の手で、刀を捧げて拝みます。
そして、もう一人の禿・増田君に刀を渡します。
見事大役を果たしました。
今から結界を越えて、四条御旅所・神社遥拝へ向かいます。
地図はこちら
一発勝負の注連縄切り。
見事、切って下さい。
15日の早朝に建てられた斎竹に、今日の9時過ぎ注連縄が張られました。
長刀鉾が、ゆっくりゆっくりと近づきます。
お囃子も、四条御旅所で八坂神社遥拝を済ませた後の”戻り囃子”と違って、
非常にゆっくりとしたお囃子です。
禿の浅見君から受け取った太刀の柄をしっかりと握り、
今まさに、抜き放とうとしています。
静かに、精神を集中して。
刀の切っ先を仰ぎ見ました。
刀を、左右左と3回大きく振ります。
そして、真っ向から刀を振り下ろします。
”トンッ”という、甲高い音とともに、見事注連縄切りを成しました。
お見事!周りの観客からは、一斉に拍手と歓声が沸きあがりました。
刀を元の鞘に戻します。
注連縄切りの間、禿の浅見君が鞘を持っていました。
きっちりと刀を鞘に収めます。
両の手で、刀を捧げて拝みます。
そして、もう一人の禿・増田君に刀を渡します。
見事大役を果たしました。
今から結界を越えて、四条御旅所・神社遥拝へ向かいます。
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山鉾巡行
ずんずん
2006-07-17T21:30:00+09:00
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祇園祭2006 長刀鉾・四条烏丸 7月17日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2315.html
17日・朝8時50分。四条烏丸の交差点で待機する長刀鉾へ、
強力さんの肩に乗ったお稚児さんが現れました。 地図はこちら
いよいよ長刀鉾に乗り込みます。
そのまま乗り込まずに、振り返って、この晴れ姿を皆さんにご披露です。
しかし、雨が残念です。
強力さんの肩に乗ったお稚児さんが現れました。 地図はこちら
いよいよ長刀鉾に乗り込みます。
そのまま乗り込まずに、振り返って、この晴れ姿を皆さんにご披露です。
しかし、雨が残念です。
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山鉾巡行
ずんずん
2006-07-17T20:45:00+09:00
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祇園祭2006 豊園真榊の宵山飾り 7月16日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2298.html
●豊園真榊 7月17日夜・神幸祭の中御座(素盞鳴尊)に供奉します。 地図はこちら
この豊園の真榊は、元々東御座に供奉していましたが、
他の2箇所の真榊が廃絶してしまい、中御座に供奉するようになりました。
東・西御座の両神輿には、現在は真榊は供奉していません。
地図はこちら
この豊園の真榊は、元々東御座に供奉していましたが、
他の2箇所の真榊が廃絶してしまい、中御座に供奉するようになりました。
東・西御座の両神輿には、現在は真榊は供奉していません。
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宵山の各町風景・屏風祭
ずんずん
2006-07-17T06:01:00+09:00
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祇園祭2006 新町通の宵山飾り 7月16日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2297.html
●北観音山(きたかんのんやま)…新町通六角下ル
日和神楽が御旅所から帰ってきました。明日天気になって下さい。
●放下鉾(ほうかぼこ)…新町通四条上ル
●南観音山(みなみかんのんやま)…新町通蛸薬師下ル
お囃子を録音しているマイクが、すぐそばに接近中。
気になって、お囃子がでけへん!
日和神楽が御旅所から帰ってきました。明日天気になって下さい。
●放下鉾(ほうかぼこ)…新町通四条上ル
●南観音山(みなみかんのんやま)…新町通蛸薬師下ル
お囃子を録音しているマイクが、すぐそばに接近中。
気になって、お囃子がでけへん!
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宵山の各町風景・屏風祭
ずんずん
2006-07-17T05:33:00+09:00
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祇園祭2006 役行者山の宵山飾り 7月16日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2296.html
●役行者山(えんのぎょうじゃやま)…室町通姉小路下ル 地図はこちら
各山鉾には朱印やスタンプが置いてあり、お参りをしたら朱印帳に押して回ります。
32基全て押せたらすごいですね。
●役行者山(えんのぎょうじゃやま)…室町通姉小路下ル 地図はこちら
各山鉾には朱印やスタンプが置いてあり、お参りをしたら朱印帳に押して回ります。
32基全て押せたらすごいですね。
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宵山の各町風景・屏風祭
ずんずん
2006-07-17T05:14:00+09:00
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祇園祭2006 黒主山の宵山飾り 7月16日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2295.html
●黒主山(くろぬしやま)…室町通三条下ル 地図はこちら
大伴黒主が桜の花を仰ぎ見ている様を表しています。
この御神体には、寛政元(1789)年の銘があります。
●黒主山(くろぬしやま)…室町通三条下ル 地図はこちら
大伴黒主が桜の花を仰ぎ見ている様を表しています。
この御神体には、寛政元(1789)年の銘があります。
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宵山の各町風景・屏風祭
ずんずん
2006-07-17T05:06:00+09:00
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祇園祭2006 浄妙山の宵山飾り 7月16日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2294.html
●浄妙山(じょうみょうやま)…六角通烏丸西入ル 地図はこちら
宇治川の合戦での、先陣争いの一場面を再現した山です。
一来法師(いちらいほうし)
ひょうきんで身軽な一来法師ですが、合戦では儚く戦死をしてしまいます。
三井寺の僧兵・筒井浄妙坊(つついじょうみょうぼう)
●浄妙山(じょうみょうやま)…六角通烏丸西入ル 地図はこちら
宇治川の合戦での、先陣争いの一場面を再現した山です。
一来法師(いちらいほうし)
ひょうきんで身軽な一来法師ですが、合戦では儚く戦死をしてしまいます。
三井寺の僧兵・筒井浄妙坊(つついじょうみょうぼう)
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宵山の各町風景・屏風祭
ずんずん
2006-07-17T04:58:00+09:00
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祇園祭2006 橋弁慶山の宵山飾り 7月16日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2293.html
●橋弁慶山(はしべんけいやま)…蛸薬師通烏丸西入ル 地図はこちら
●橋弁慶山(はしべんけいやま)…蛸薬師通烏丸西入ル 地図はこちら
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宵山の各町風景・屏風祭
ずんずん
2006-07-17T04:46:00+09:00
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祇園祭2006 休山の宵山飾り 7月16日
https://zunzun2.kyo2.jp/e2292.html
休山というのは、大火などの災害により骨組・装飾品などを失い、
巡行に参加できなくなった山鉾のことです。
●鷹山(たかやま)…三条通室町西入ル
元治元年(1864年)の大火でほとんどのものを焼失。
樽負が、粽をむしゃむしゃ食べる姿が滑稽で人気があった曳山でした。
●布袋山(ほていやま)…蛸薬師通室町西入ル
天明八年の大火で焼失。それまでは曳山(ひきやま)の形態をとっていた。
●休山は、この外にも大船鉾(凱旋船鉾)というのが、新町通四条下ルにあり、
復活へ向けてお囃子の実演など、盛んに活動されています。
やはり、元治元年の大火で焼失。
現存の「船鉾」が出陣の姿を表した船であるのに対して、「大船鉾」は凱旋の船を表している。
巡行に参加できなくなった山鉾のことです。
●鷹山(たかやま)…三条通室町西入ル
元治元年(1864年)の大火でほとんどのものを焼失。
樽負が、粽をむしゃむしゃ食べる姿が滑稽で人気があった曳山でした。
●布袋山(ほていやま)…蛸薬師通室町西入ル
天明八年の大火で焼失。それまでは曳山(ひきやま)の形態をとっていた。
●休山は、この外にも大船鉾(凱旋船鉾)というのが、新町通四条下ルにあり、
復活へ向けてお囃子の実演など、盛んに活動されています。
やはり、元治元年の大火で焼失。
現存の「船鉾」が出陣の姿を表した船であるのに対して、「大船鉾」は凱旋の船を表している。]]>
宵山の各町風景・屏風祭
ずんずん
2006-07-17T04:22:00+09:00