2006年06月30日
祇園祭は、祇園さんのお祭り。~八坂神社を探検しよう・壱~
八坂神社のことを、京都の人は”祇園さん”と呼んで親しんでいます。
祇園さんに限らず、東寺は”弘法さん”、北野天満宮は”天神さん”。
敬いつつ、親しみをもって身近におく、”さん”の敬称。
標準語の”さん”とは違うニュアンスです。
その祇園さんのお祭りが、祇園祭というわけで。。。八坂神社の境内をじっくりと探索してみました。
これが、結構広ろォ~いんです。
”祇園石段下”っていう地名があるように、この門は、祇園さんの顔になってますね。 地図はこちら
「西楼門」 この門って、結構古くて、再建されたのが明応6年(1497)。
なんと重要文化財になっています。
先代の門は、あの”応仁の乱”で焼失しましたが、明応の再建は桧皮葺きでした。
永禄12年頃(1558)には現在の本瓦葺になり、
大正元年(1912)、市電の四条・東山通開通に伴う道路拡幅に合わせて、
楼門左右の翼廊を建立して現況に至っています。
境内の中から見ると、こんな感じです。 小さく見えます? これは、レンズの所為。
四条通が西に見渡せて、ちょっと偉くなった気分になります。
では、ソロリソロリと境内の奥へと侵入していきましょう。
祇園さんに限らず、東寺は”弘法さん”、北野天満宮は”天神さん”。
敬いつつ、親しみをもって身近におく、”さん”の敬称。
標準語の”さん”とは違うニュアンスです。
その祇園さんのお祭りが、祇園祭というわけで。。。八坂神社の境内をじっくりと探索してみました。
これが、結構広ろォ~いんです。
”祇園石段下”っていう地名があるように、この門は、祇園さんの顔になってますね。 地図はこちら
「西楼門」 この門って、結構古くて、再建されたのが明応6年(1497)。
なんと重要文化財になっています。
先代の門は、あの”応仁の乱”で焼失しましたが、明応の再建は桧皮葺きでした。
永禄12年頃(1558)には現在の本瓦葺になり、
大正元年(1912)、市電の四条・東山通開通に伴う道路拡幅に合わせて、
楼門左右の翼廊を建立して現況に至っています。
境内の中から見ると、こんな感じです。 小さく見えます? これは、レンズの所為。
四条通が西に見渡せて、ちょっと偉くなった気分になります。
では、ソロリソロリと境内の奥へと侵入していきましょう。
Posted by ずんずん at 21:13│Comments(0)
│八坂神社の風景・境内探検